桜宮高校の出来事から連鎖反応というか様々なところでスポーツの体罰についてのニュースが報じられています。
特に女子柔道の集団告発は衝撃的でしたし、その体罰だけでなく言動も酷いものでスポーツの指導者というより一人の社会人としても許しがたいものでした。
「お前なんか柔道やってなかったら、ただのブタだ。」
スポーツの指導にこんな発言する必要ありますか?
本当に話になりません。よくこんな状況でロンドンオリンピックに行けたものですね。
そんな中、元プロ野球選手の桑田真澄氏があらゆるところでスポーツを説いたニュースを見ます。
「体罰は一番ひきょう」桑田真澄氏 桜宮高教員ら前に熱弁55分 ― スポニチ Sponichi Annex 社会
桑田氏の理論はさまざまなところでお話しされていますが、まず私が感じることは、これは桑田氏の理論ではなく、スポーツを学んだ人の理論だということです。
私もスポーツの指導に関しては、あらゆる機関で学び、本を読みました。その中で学んだこととほぼ同じことを提唱されているんです。
何が大事かというと、もともとエリートコースを歩み、理論は度がえしの環境の中、スポーツを行っていた彼が、それらの経験を白紙にしスポーツを学んでいる点にあります。
だから、よく彼の話を批判する人もいますが、そういう人に限ってスポーツを客観的に考えず、自分が行ってきたスポーツ環境と相対した物事の考えしか持っていない人がほとんどのように思えます。
「自分は体罰を受けても、耐えてきた」
「理路整然としない理論の中、野球を頑張ってきた。」
しかし、時代が進むにつれ、周りは成長し、進歩していきます。
当然スポーツの世界でも様々な分野で進歩し、情報も提供されていくでしょう。それについていけないというか、自分が行ってきたものと違うからという非常に身勝手な理由で受け入れられないスポーツ指導者がたくさんいるのは、私も少年野球の指導者から今に至るまで強く感じるところです。
本日、スカパーの無料開放DAYでしたので、たまたまプロ野球ニュースを観ました。
その中で元広島カープの達川氏が次のような発言をしていました。
「私は桑田との考えとは反対で、”習うより慣れろ”だった。考えるより体を動かせ。桑田の理論が通じるなら、我々が昔やっていたのは何だったのか…」
大体、このようなニュアンスでした。
12勤1休という非常識な練習メニューで数多くの選手を潰してきた(シーズン途中、金本選手以外みな若手になってしまうこともありましたね)監督らしい発言だと思いました。
「我々が昔やっていたのは何だったのか…」
この発言こそ、今の野球指導者に多い考え方です。自分のやり方を今の子供たちにやらせることを楽しむ指導者達がどれだけたくさんいるか。。。
スポーツの指導者は過去の選手としての経験を一旦白紙にし、一からスポーツを学ぶ…、これは非常に大切なことなのです。
純粋にスポーツを頑張る選手達の力になりたいのなら、まずは指導者自らが学んで、指導者として成長しなければならないのです。
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