桜宮高校における体罰にて考えること

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 先日、大阪の桜宮高校におけるスポーツ部の指導者による体罰による出来事は、スポーツを頑張る選手に対してあまりにも居たたまれないものでした。

 同学校には、昔私が指導に関わった少年野球チームの子も通っていた学校なので驚きもありました。

 この学校については、いちいち何か論じるつもりはありませんが、スポーツ現場において体罰によってスポーツ能力が上がるなんてことを考える指導者がいること自体、許せません。
 また大きな問題として、そんな指導者にチームを任せる管理者も同様に許せないものであり、そういった指導者とわかっているならそれに子供を預ける親にさえ疑問を感じます。

 簡単な話、選手への指導に暴力を利用しないといけない指導者は自分の指導力が無いということです。選手が上達しない、結果が伴わないのなら、指導者としてまずは自分の力を見つめなおし、何か違う方法はないのか指導法を模索するのが当然でしょう。

 人は失敗を繰り返し、成長していきます。
 特に青少年期は自分で失敗し、悩み、試行錯誤を繰り返す・・・その過程の中で様々なことを学ぶのであり、反省のない選手へはそれを促すのが指導者の役割です。

 チームの結果が悪いと困るのは選手でしょうか?だから、暴力を振るうのでしょうか?
 いや、チームの結果が悪いと困るのは指導者自身でしょう。それを商売にしており、勝ち負けで評価される立場は学生ではなく、指導者であり、その焦りが暴力に繋がるのかもしれません。
 きれい事を並べ、「選手のため・・・」等と言って、暴力を振るう指導者はただの自分勝手で卑劣な人間です。本当に許せません。

 こういった指導者への選手の反発は、後輩への八つ当たりなどにも発展する恐れもあり、重ねて言うなら彼らが大人になって指導者になった時、同じような人間になる可能性も高いです。
 もし自分の子供がそんな大人になり、自己満足だけで人を傷つけるような人間になったら親としてどう感じるでしょうか?
 だからこそ、このような指導者は社会が許してはいけないのです。

 指導者の資質は暴力じゃなくても、よく観察をすればわかります。

 例えば、私が少年野球の指導者をしていた時、多くのチームを客観的に観察していましたが、指導中に多くの大人達がたばこを吸いながら子供に指導しているシーンを観てきたことか・・・。
 子供への指導、ミーティング中にたばこを吹かしながら指導する大人たちを見ただけでも怒りを感じたものです。

 体罰に疑問を感じるスポーツ選手やその保護者の方々は、自分たちの周りで今回の出来事のような指導者がいれば、それは絶対に許してはいけないものです。

 
 

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